Blogとかテキストとかはてなとか、一体何なんだろう
宮台「チャーリー、MIYADAI.comもBlogにしようよ。今、東さんのはてなダイアリーなんかも盛り上がってるんでしょ?」
チャーリー「わかりました、やっときます。」
無邪気。(´ー`)
(チャーリーってのは、チャーリィ・ゴードンさんではなくて宮台コムの管理者のお名前です)
東さんのはてなダイアリーは、盛り上がってると言うか、盛り上がりすぎ。こんなにコメントが付いたら、僕なら閉鎖してる。僕は逆にコメントがつかなすぎるのではてなダイアリーを辞めたクチです! 嘘です。
今更ながら、Blogとかテキストとかはてなとか、一体何なんでしょうね。
最近、竹田が「はてなダイアリー放棄宣言」を出していた。バカだなぁ、と思いつつも、僕は彼の言いたいことを理解できるような気がしてしまうのだ。彼と僕との関係性において、世代とか周辺といったタームで語るのはあまりにもアレなんだけど、デジタルの中のアナログ性を大事にする人々というか、日記系で育ったネット世代なのだと思う。デジタルさんの解釈はすごく腑に落ちた。
実は、Blogツールを導入するにあたって、タイセー君の反対があった。彼はパソコン通信時代からパソコンをやっている、日記原理主義のパソコン者だから、「九十九式にはテキストを書き続けて欲しい」という思いがあったらしい。Blogツールのまとまりのなさ、垂れ流し具合、しかも「こういうツールだから」という開き直り加減が許せない、とか。
と、まるで人の意見を紹介するような文章で責任を回避しつつも、実際は僕の考えも似たり寄ったりなのであった。
ふりだしに戻ろう。Blogなるものが
単なる日記サイト(著者の行動記録)ではなく、ネットで見つけた面白いニュース記事やWebサイトへのリンクを張り、そこに自分の評論を書き加えた記事が時系列に配置されているWebサイト
だとすると、ネットネタや時事ネタ芸能ネタとして、3年前から九十九式で書いてきたことと変わりないのだ。
さらには、九十九式は解説当初からエディタに背を向けて、日記のCGI更新を採用しており、2002~2003年は、サーバーでCGIが使えないという緊急避難的FTP更新だったのだ。
つまり九十九式のBlog化というのは、実は原点回帰を意味するのである。
強引にまとめます。要するにツールは所詮ツール。中身まで手法に左右されずに、“日記魂”をもってがんばろうぜ! ということです。
このように、格好悪くとも最後に踏みとどまれるかどうかが、メモとテキスト、書き捨てと書き置きの違いだと思います。
広告
(でもBlog呼ばわりされたら多分ムカつく)
(Blogってのはマニフェストだと思います)