酉の市

2004年11月27日 土曜日

『世の中も淋しくなりぬ三の酉 子規』

 11月も終わりに近づいた26日。先日は三の酉だった。

 11月の酉の日に、鷲(おおとり)神社の祭礼に立つ市のことを“酉の市”というが、大抵の年は二の酉までしかない。今年のように三の酉まである年は、火事などの災厄が多いと言われている。はたして新潟の震災はそのジンクスにあたるのかどうか。

 拙者も知り合いの陰陽師の先生に連れられて、酉の寺まで行って参った。そこの住職と懇意にしている先生の口添えで、本堂に入って祈祷をしてもらってきた。本尊のご開帳は年に1度、酉の市のときだけというから、ありがたい話である。

 外に出ると、参道にはさまざまな屋台が出ている。平日の昼間だというのに、かなりの賑わいだ。屋台の多くは、熊手屋である。熊手は酉の市の縁起物で、その昔、日本武尊が東夷征討の際に社に立ち寄られ戦勝を祈願して、武具の「熊手」をかけたことに由来する。江戸時代頃からは、その形状から「福をかっこむ」ということで、商売繁盛の縁起物として人気を集めているそうだ。

 熊手が武具だったというのも驚きだが(ドラクエの“てつのつめ”のようなものか)、世の中にこんなにたくさん“熊手屋”が存在しているというのも驚きだった。大小さまざまな熊手を売る屋台は、ざっと30をくだらなかったと思う。あちこちで、売り子の威勢のいい三本締めの声が聞かれた。(熊手が売れると、客を取り囲んで三本締めをする)

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 なぜか寺なのにあるおみくじを引き、寺の熊手を買って外に出てみると、同じような雰囲気の……神社がある。後ろを振り返ると、寺がある。あれ、どうなっているんだこれは。

神社の方へ行ってみると、こちらも酉の市である。まったく同じ熊手を売っているが、札に書いてある文句が違う。かたや鷲妙見大菩薩、かたや鷲大明神。いったいどうなっているんだ。

 調べてみると、もともとはここは一つの社だったらしい。明治時代の神仏分離令で、“長國寺”と“鷲神社”とに分かれ、各々が酉の市を開くようになった、という経緯があったそうだ。つまり、鷲妙見菩薩と鷲明神は同一のカミの別名、別窓口だったのだ。(うーん。OEM供給みたいなものだろうか。)どうりで、寺なのにおみくじがあるわけだ。本尊も聖地も同じでありながら、宗教が違うのにここまで渾然一体となった様を見て、改めて日本は和の国だなあ、と思った。これが外国だったら、真ん中に壁がそびえ立って内戦になっていることだろう。

↑神社サイドのおみくじは巫女さんが。

↑寺サイドは残念ながらおっさんが。

参照

浅草酉の寺・鷲在山長國寺

寺の公式サイトはこちら。

http://otorisama.jp/

鷲神社の公式ホームページ

神社がこっち。URLも紙一重。

http://www.otorisama.or.jp/


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