加護亜依という存在
この件に関して、色々な声があった。「何も語らない、語れない」という選択も、「こんなときこそ無条件に応援するのがファンの務め」というナイーブな混乱も、それはそれでいいと思う。「加護 喫煙」で検索してくる人も、単なるゴシップ趣味だけでなく、「他の人がどう感じているのか知りたい」「安心したい」というファンが多いのだろうと思う。
いくつか文章を書いてみた。今まで散々ネタにさせてもらったハロー!への恩義を考えても、常にハロプロを語りつづけてきたサイトとしても、こうして何かあった時に口をつぐむのは不誠実なのではないかと思ったからだ。これは僕の流儀の問題である。事件を茶化すものから、社会派時評、ファンの妄想テキストまで。そのうちのいくつかはそれなりによく書けたし、いかにも九十九式らしいものもあった。
しかし、全て没にした。この事件は、ただ一つの事実として受け止めるほかない。それは一部の人にとって、とても残酷な真実である。
加護ちゃんがもう18歳だったことをご存知だったろうか。ハロプロに興味のない僕の友人は、そこに一番驚いたと言う。せいぜい15くらいかと思っていた、と。
ミニモニ時代に、その子供然とした天真爛漫さと、ちょっとおませなおてんばぶりで、一躍お茶の間の人気者になった加護ちゃん。(と辻ちゃん。) 3期メンバーの加入でブレイクのきっかけを待っていたモーニング娘を一躍スターダムにのし上げた4期メンバー、その中核を担っていたのは間違いなく彼女だろう。
しかし、我々はそのうち違和を感じるようになる。彼女(達)は、いつまで経っても成長しないのである。いつまでたってもお団子頭で子供っぽい歌を歌っている。たまに外の番組にゲスト出演しても、ツジカゴ・子供キャラとして扱われている。
ところが、世間ではそれほど違和感がなかったようなのだ。あの友人のように、大多数の人にとっては今でも辻加護=ミニモニの子、中学生のイメージのままだった。それは、本人にとっても、周りにとっても、幸せな錯覚であった。
だが、もうみんな気付いてしまった。僕は知ってしまった。彼女は、天使なんかじゃなかった。どこにでもいる普通の中卒の18歳の女の子だった。彼女の中に見た絶大なる可愛さは、彼女こそ天使と信じた日々は、全てこちらの身勝手な幻想だったのだろうか。これほどの季節を費やして、いったい僕らは彼女の何を見ていたというのか。押し付けられた理想は、彼女を縛り付けていただろうか。
魔法は解けてしまった。
もう、加護亜依に、W(ダブルユー)に、世界が今までのように微笑むことはないのだろう。
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それでも、笑顔は大切にしたい。人を愛するために。