文章のトッピングもほどほどが良い
先日書いた、『AKB48 大島優子の覚悟と優しさ』という文章が、AKBファンの間でヒットしたようで、まずTwitterのAKB48クラスタに広まり、そこからmixi大島優子スレに飛び火し、2ちゃん大島優子スレ、各種ブログ…とバズっていき、アイドルブログ界の巨頭、TKさんにも取り上げられるまでに至った。(はてブ、ニュースサイトの反応はほぼ皆無。この辺の動きの違いはWebマーケティング的には面白い。)
さてこの過程で、実は何度か文章やタイトルを書き直している。
最初から結構こってり目の文章だったんだけど…。
mixiなどでファンの子達が喜んでいるのを見て、「ファンが読むんだったらこんくらい書いておこうかな」などと思っては書き足し、
2ちゃんやTwitterでも喜ばれてるのを見て「よっしゃ、もっとマシマシでサービス…」とかやっていたら、気付いたら肩入れしすぎててんこ盛りになっていることに気付いた。
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危ない危ない…。と独りごちた僕は、また元の通り、第三者視点で、普通よりこってり目、程度の味付けに戻したのだった。
そもそもこの文章が多くの大島優子ファンに受け入れられたのは、特にファンではない人間がちゃんと評価している、という点が嬉しかったのもあるだろう。
TKさんのところでは、このように解説していただいている。
例えば私がアイドルに関して語ろうとする時には、その切り口は
●グループとしての力学や、企画/事業としての側面にフォーカスを当てた言説
か
●生身の少女としてのメンバーにフォーカスを当てた言説
というものに大まかには分かれると思うのです(中略)
アイドルの世界と魅力を他者に語るのにどちらか一方では片手落ちなのです。外の人に届く言葉とするならば、つまりは一つの「テキスト」という作品に仕上げるならば、やはり一つの言説の中にその対比が描かれているべきなのです。先に上げた宮本氏の更新の素晴らしい点はまさにそこで、AKBおよび総選挙という「システム」と、その中で生きる大島優子という「生身の少女」との対比が鮮やかに描かれていることだと思うのです。 えだは – ■九十九式がAKBを語る
(褒めすぎのような気が…。ありがとうございます…!)
言うなれば、魚介系と豚骨系のダシを混ぜて使うようなものなので、味付けに失敗すると生臭くなってしまうし、トッピングを乗せすぎると、何について書こうとしているのかが分からなくなってしまうんですね。
芯の通る文章を書くには、不要な部分をそぎ落とし、そぎ落とし、素材本来の味をどれだけ生かせるか、と言うところがポイントなのかな、と。
(ラーメン二郎批判ではないので、ジロリアンの皆様誤解の無きよう)
2011年6月19日 at 23:39
リンクありがとうございました。
私自身も、AKBに関しては少女たちと彼女を取り巻くシステムとをゴッチャにしてとらえていたので、当初は大島さんの言葉も漠然と聞き流してしまっていました。
が、両者の対比から語られた宮本氏のテキストによってキリリと立ち上がってきた意味に、まさに背筋を伸ばされ、蒙を啓かれた心持ちでした。長らくアイドルを観察していたというのに汗顔の至りです。
多分これはAKBを応援してた人も近い気持ちなんじゃないですかね。さまざまなイベントを連発し、ファンを飽きさせない彼女たちの動向を追うことに慣れてしまうと、こういった基本に立ち返って彼女たちの言動と向き合うことが、以外に疎かになってしまうように思えます。
2011年6月22日 at 09:22
こちらこそリンク言及ありがとうございます。アイドルテキストの第一人者であるTK先生にそこまで評価していただき恐縮の極みです。
コメント欄を見る限り、ファンも喜んでくれたようで何よりですね。しかしAKBのファンってかつてのハロプロ全盛期よりも女性の割合が多いように見えますね。
2011年6月24日 at 10:52
視覚的で分かりやすい文章の推敲過程。