佐倉葉ウェブ文化研究室に見る個人サイトの創造性

2016年9月12日 月曜日

2011年に書いた文章に
「テキストサイト」は終わらない-九十九式
2015年に反応してくれていたものを

「テキストサイト」は終わらない-九十九式
「テキストサイト」は、時代に置いて行かれた。しかしこれはまあ、議題をアジェンダといったり、同意をコンセンサスと言ったりするようなもので、本質的には「日記サイト」がどういう言葉で呼ばれるか、という話だと思う。なので、テキストサイトの歴史を書いたSakurada氏による、「衰退」ではなく「成熟」だ、とする指摘にも共感は覚える。しかし、良きにつけ悪しきにつけ、そうした意味で「テキストサイト」というのは、日本のネットのある一時代を切り取った言葉となった。それが、以前書いた「テキストサイト文化は世代論」という記事の真意である。『テキスト王』の工藤さんも、テキストサイト現象を世代として捉えている。

世代か、気がつかなかったなあ。言われてみれば”なるほど”という感じ。ちなみに私はSakuradaではなくSakurabaですw

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テキストサイト : 佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書

2016年になってから気付く俺。言及リンクありがとうございます。あと名前間違えててすみません!

お詫びでフォローするわけじゃないんだけど、この佐倉葉さんというのはすごい人で、異様に詳細で網羅性の高いインターネット資料を作成し続けている、市井の研究家なのだ。
特にテキストサイトの歴史は、2008年に作成が開始され、常に手が入れられ続けている。2015年には「娘。系テキストサイト」が付け加えられたし(!)、今年も更新されている。
インターネットの歴史の保持資料、個人サイトが多めなインターネットの歴史年表も資料性が高い。(九十九式開設も入れていただいています)

そして圧巻なのは、自分のサイト史をまとめたサイト開設10周年記念企画。『佐倉葉ウェブ文化研究室』10+3年の歩み。ページの読み込みが重くなるんじゃないかってくらい充実している。スクリーンショットも多用され、情報密度が異様に高い。これだけ見ると、「この人は相当自己愛(自己サイト愛)が強いのだろうか?」と思わされるけど、全ての資料が同じような熱量で作られているから、きっとこういう年表系資料を作るのが本当に好きな人なんだろう。惜しむらくは(?)、題材が今の時代にアクセスが爆発的に集まるようなものではないので、なんかこうして静かに公開されてるのがなんかもったいないようなきがするんだけど、これって「アクセス増、PV稼いでマネタイズ」的な昨今のWeb屋の卑しい考えであって、佐倉葉さんはこういう個人的な資料の完成度を高めていくことに喜びを感じる根っからの研究者なのだろう。

サイト史の最後も、佐倉葉さんはこう締めくくっている。

 今のサイトの立場としては零細サイトに戻ってしまっている。それだけサイト消滅の影響は大きかった。 被リンク数もアクセス数も少ない。まあ、アクセス数は少ないというのは、それはそれで気楽でいいという思いもあります。 2009年以降はマイペースなサイトに変わったので、あまりアクセス数が多いのもね。

零細サイトに戻って、このサイトをこれからどうしようかというのを最近考えるのだけど、ようは続けるか止めるかという事。 このサイトを続けても生活にプラスになる事は無く、いまや完全に趣味でやってる状況。これをそのまま続けていいのだろうか。 ただ、新ページのアイデアは沢山持っているし、ここまでやってきたものを捨てるのもね。 だから細々とではあるが続けていく事になるのかな。

まあ、サイトを運営する上での心構えとか信念とかは13年前から何ら変わらないですね。すなわち本当に価値のあるものを作り、何年経っても残すべきサイトにするという事。

サイト開設10周年記念企画。『佐倉葉ウェブ文化研究室』10+3年の歩み

いや天晴。個人サイトの鑑である。いや、全ての個人サイトがかくあるべし、とは言わないけど。だって価値がある・役に立つという評価軸とは別に、純粋に個人的動機と楽しみのために役に立たない文章の更新が許されるのも、個人サイトの良さでもあるからね。でもきっと佐倉葉さんの場合は、個人的な楽しみが「資料性の高いページを作ること」のようで、それってすごく創造的で良いなぁ、と思う。


この記事は44分50秒で書きました。

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