命のダブルスタンダード
息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。詳しく話を聞いてみると、男児らがよってたかって虫をいじっていて、最後に息子が触って死んでしまったらしい。でも半ば息子が殺した扱いになっていて、幼稚園の先生からは「もっと命の大切さを教えてあげてください」とか妻が指導されたそうな。
「いのちのたいせつさ」…? そんなことは常日頃から口を酸っぱくして教えているし、息子は毎週『ダーウィンが来た!』を見ているし、人並み以上には小さな命に親しんでいるし、人並み程度には小さな命の死を悲しむ情緒は持っている。しかし、虫の命が大切、一寸の虫にも五分の魂、というのはどうやって教えたものか、これは難しい。人は、自分から類が遠くなればなるほど、その生き物に対して親近感を覚えなくなるからだ。例えば、人が人を殺すのは絶対的な禁忌だ。場合によっては死罪になる。犬や猫などの哺乳類を殺すのも明らかにヤバい。鳥類も無理だ。しかし爬虫類になると、殺す場面を見ても「残酷な…」と目をひそめる程度で終わってしまうかもしれない。これが魚類になると、むしろ「3枚におろすと美味しそうだ」に見えてしまう。サンマなどは、泳いでいる状態でも塩焼きの図が頭に浮かんでしまう。そして、昆虫だ。
冒頭の話があったその日、家にゴキブリが出現した。妻の悲鳴で駆け付けた僕は、妻子を退避させて、ゴキジェットとビニール袋を片手に退治に乗り出した。この家で唯一のテラフォマーズたる僕は、家族を守らなくてはならない。ここは寝室なので、ゴキジェットを撒き散らすわけにもいかないので、ティッシュ+ビニール袋で素手で捕獲、しかる後に殲滅だ。
さて、捕獲したところではたと気づいた。昼間「虫といえども命を奪ってはいけない」と教えた父が、その舌の根も乾かぬうちに夜に殺生を行なうのか?
ビニール袋ごしにゴキブリを掴んだまま、しばし逡巡していると、息子が退避部屋から出てきた。「おとーさん!どう?」
廊下でゴキブリをつまんで佇む父。ゴキブリを初めて間近で見た息子は、目を丸くして、「カッコイイ…」と感嘆の声を漏らした。
ゴキブリを手で捕まえる父がカッコイイと思ったのか、ゴキブリの黒光りするフォルムをカッコイイと思ったのか、どちらかは分からない。しかし、一瞬油断して手が緩んだすきを突いて、ゴキブリはファサササ…と飛んで逃げた。
広告
僕はそれを追いかけて捕まえ、外に出てから殺した。
じょうじ…
この記事は16分10秒で書きました。
2016年10月7日 at 08:58
こっちが元ネタだったか
2016年10月7日 at 09:46
園芸も農業もやったことないんだろうな。やれば害虫をバンバン殺さなきゃなんないから「命を大切に」なんてきれい事言えなくなる。
2016年10月7日 at 10:21
気軽に増田をブクマできなくなるのはやだなぁ / via http://anond.hatelabo.jp/20161006231800
2016年10月7日 at 11:19
面白かったので本家をブクマしに来た
2016年10月7日 at 11:42
幼稚園の先生と哲学における命をとことん語り合う必要がある。禅問答でも良い。
2016年10月7日 at 13:43
元ネタをブクマ。
2016年10月7日 at 14:54
「虫を殺してしまった」経験のない人の生命観って信じてない。
2016年10月7日 at 15:00
G文字注意 / 虫の場合は。。。難しいねぇ。畑だと「害虫」として殺生しまくってるし。「人の業」に含まれない(と言っちゃ語弊がある)命は軽いよね。人間は高等生物過ぎて身勝手。
2016年10月7日 at 17:04
増田から来ました
2016年10月8日 at 01:07
はてな匿名ダイアリーって「本家はこちら」と記事中でリンクすると「宣伝かよ」とかいってスルーされる面倒くさい(しかし一定の合理性を認められる)文化があったりするんですよね……。
2016年10月8日 at 10:41
子供が面白半分で虫等を殺すのは普通だと思う。成長すれば止まる。それは「命の大切さ」を学んだからというよりは、もっと面白い遊びができるようになるからだと思う。