満たされているやつはブログなんて書かない
(タイトルではブログと書いたけど、「Web日記」と読み解いてほしい。)
昔はどうして、自分も含めてあんなに毎日Web日記を書いている奴らがいたんだろう? 疑問形で書いたけど答えはもう出ていて、「満たされているやつはWeb日記なんて書かない」ということだ。
あの頃、テキストサイトや日記サイトをやっていたのは、みんな満たされていない奴らだった。
大学生とか無職フリーターとかの、金はないけど時間は腐るほど余っていて、でも外に遊びに行ったり友だちと会ったりもしない、金はないけどPCとインターネット回線くらいは工面できる。そんな奴らが、スキル的にもマシンスペック的にも文字を書くことくらいしかできない環境で、何かをやろうと思ったら、これはもうWeb日記でも書くしかない。
あの頃の俺たち
金も地位もない若者だから、とうぜん実生活では認められていないし、満たされていない。でもそんな何者でもない学生の独り言を、100人とか200人とかが一生懸命読んでくれて褒めてくれる(と書いた本人は思っている)んだから、これはたまらない。乾いた心が一時的に満たされる快感が、日記ジャンキー達を生み出したのだ。
まあそれは10年以上も前の話だ。じゃあ今はそんな満たされない日記ジャンキー達がどこへ行ったのかというと、みんな実社会に帰っていった。
文章を書くことが純粋に好きで特殊能力レベルにまでなった人は、そのままライターや作家になった。そこで満たされた。
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仲間とつながる(当時は馴れ合いとかいって批判される変な時代だった)のが好きだった普通の人は、そこで伴侶を見つけたり、そのまま普通に就職して社会人になった。
日記を書けなくなったら
普通に社会人になったけど、相変わらず結婚もできないし、会社でも全然認められてなくて、全然満たされてない……、そんな人もいるかも知れない。まあいるだろう。でもそれは時間と精神的な余裕が、雑事に忙殺されて「満たされて」しまっている状態なのだ。Web日記を書く暇も精神的余裕もないほどになってしまったら、少し自分の生活を見直すべきときなのかもしれない。
ほら、今はスマホで電車に乗っている間に15分くらいの日記なら書こうと思えば書けるでしょ。おっと、SNSじゃだめだ。Twitterで短文を垂れ流しても、その場その場の不満をガス抜きするだけで、考えが深まらないので自分を見つめ直すことができない。インスタやFacebookじゃオシャレ写真やリア充写真を投稿していいねを集めるパワーゲームに巻き込まれて疲弊するだけだ。
とりあえずブログで書いてみたら何かが変わるかもしれない。その文章を10年後に読み返した時、きっと何かが変わったことに気づくことだろう。変わらなくても責任は取らないけど。
じゃあ、また。
この記事は24分26秒で書きました。