WEB晒し

2002年8月9日 金曜日

 WEB上で「さらす」という行為について考えてみた。
 人は時として、オフラインやメール等による直接交渉でどうにでもなるはずの事を、なぜわざわざサイト上に持ち込むのか。

 一足飛びに結論に行くと(眠いので)、それが「罰」だからである。

 僕らはインターネット上にサイトを持ち、ネット上で新しい友達を作り、電脳空間で仮想人格を演じている。すると、人によってはその世界を心の砦として、決して外界と交わらないように努力する。その場合、電脳世界は浮世を忘れる為の彼(彼女)の聖地なのだろう。

 多くの人がサイトバレ(現実界の知り合いにサイトの存在を認知されること)を極端に嫌うのも、逆に現実バレ(ネッ友に本名や職場を知られる事)を忌避するもの、そのせいと推測される。この場合、両者は本質的にイコールである。全ては聖地(サイト)を守るため。

 電脳世界と現実世界との人の往来を遮断するのは、それぞれの世界の境界線を強固にすると言う事に他ならない。
 だからこそ、「WEB晒し」が罰となりうるのである。電脳世界では己の実像を隠して仮想人格を演じてきた人間にとって、WEB上で真実が白日のもとに晒されると言うのはこの上なく苦痛であろう。ましてや、それが自らの意思に反した、半ば強制的な力が働いている場合、なおさらである。

(PCが原因不明のエラーでフリーズ寸前なので急ぎます。)

 つまり、トラブルに関して相手にサイト上での謝罪を求めたからといって。謝罪を求める人をあげつらうことはできないし、謝罪をした人をあざ笑うべきではない。
 そしてテキストサイト麻雀最強位のトップの特典とビリの副賞が「ツラ公開」なのも、それが罰ゲームとして非常に有効に機能するからなのです。…。(迫り来る審判の日、ツラ公開の危機、土下座の屈辱、鳴らない電話、最終局面!)

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