例の空手教室に、また小学生が増えた。というのはつまり、また僕が遊んでやる子供が増えたということであり、単純に労働量が増えてしまった計算になる。まあ、4人遊ぶも5人遊ぶもそれほど変わりはないんだけど……。
稽古の合間の休憩時間になると、ジャイアントスイングをせがむ子供、組手ごっこを挑んでくる子供、よくわからんがまとわり付いてくる子供、バク転を見せてくれとせがむ子供。ああ、もう! 頼むから休憩させろ! ……そういえば小学生にとって「やすみ時間」というのは、イコール遊ぶ時間なのだった。
あとは“話を聞いて欲しい子供”もいる。
「あー、手が痛くて型がうまくできねーよー」(こっちを見ながら独り言)
「ふーん」
「……おれさおれさ、手が痛いんだよね今日」
「そうか」
面倒なので適当にスルーしたかったんだけど、なんかじっと見上げて待ってるので聞いてしまった。
「…なんで痛いんだ?」
「(パァァ…)おれさ、今日学校で木の通り抜けるとこあるじゃん! あれ今日ともだちとさ、うわーってくぐりぬけるときにビーってなって木のところですっげー痛かったんだよホラこれ」
…何言ってんのかよく分からなかったけど
「おー、そっかそりゃ痛いよな! あー。こりゃ痛そうだわ!」
と言ったら至極満足げな顔してたのでいいのかな。ちなみにアクセントは「お
れ」ではなく「
おれ」。
しかし、この小五の無邪気な「おれ話」を常に無条件で笑うことはできない。今でも僕の話なんて基本的にはこの小五と同じようなものだ。ブログでも会話でも、自分語りはとくにそうだ。ただ、その見せ方や書き方、表現が向上しているので、それなりにセルフプレゼンとして機能しているように見えるだけの話。
というかブログとはえてしてそういうものなのかもしれません。