あなたには功夫が足りないようねと彼女は

2003年5月7日 水曜日

 世の中の行為や技は、全て二つに大別される。
 一つは、袋に入った小銭のように、どんどん消費されていって、最後には無くなってしまうもの。もう一つは、ドラクエのレベル上げのように、やればやるほど少しずつ、だが確実に積み重なっていくもの。

 具体的に説明してみよう。前者は、「酒は一生のうちに飲める量が決まっている」とか「男は最後に赤い玉がポンと出て打ち止めになる」といった俗説に代表される。赤玉は冗談にしても、酒に関しては、若いうちに飲みすぎて、後年は完全な下戸になってしまった人を何人か見た。これをぼくは「行為の飽和量に達した」と捉えている。ぼくも昨年はずいぶんムチャな飲み方をしたので、リミットが下がったかもしれない。これからは本当にうまい酒しか飲まないつもりである。氷結なんちゃらとかはんにゃらサワーとか、絶対飲みたくない。発泡酒はアリ。死ぬ前にルイ13世は飲んでみたい。

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 話がそれた。
 後者は、バレエの練習や武道、楽器のように、修練を積んで技量が磨かれ、深みを増して行くものである。大陸拳法の総称となっているクンフー(功夫)という言葉は、元来は技の経験値のような意味合いで用いられ、例えば上手い絵画を前にして「見事な功夫だ」というように使われていたらしい。

 さて、そこでぼくがかねがね気になっていたのは、ここの文章は果たしてどちらなのだろうか、ということだ。もしも消費型なら、2年間毎日書きつづけるというのは、何かを恐ろしい勢いで削ってきたということを意味する。だが蓄積型なら、確実に文章の功夫は積み上げられ、サイダネが育っているはずである。
 たかが素人の手慰みの文章だけど、ぼくにとってサイトは「文章修行の場」以外の何物でもないので、(サイトの)死活問題である。今のところ、考えても答えは出そうにない。

 答えが出るのは数年後?
(向こう5年は続けるつもり! バリバリ書くぜ~! 応援よろしくネ!)


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