春はあけぼの、日記はつづきもの

2003年5月10日 土曜日

 流行に敏感な層であるみなさんこんばんは。未だにTOKIOの人が違う名前でテレビに出ているメカニズムが良く理解できない宮本です。(しかも「トキオ」なのに関西人になり、さらには世間がそれを容認しているという。よくわからないです。)

 さて、「WEB日誌は魂をすり減らすものか、福音を得るものか」というテーマで前回ひとしきり悩んだのですが、大局的な答えは全く見えません。しかしこと日誌(WEB日記)に関しては、ぼくもそろそろベテランの域。というか定年間近というところまで来ているので、感覚としてつかめたことはある。

 日記の場合ちょっと休むと途端におっくうになるし、いざ書こうとしても書けなくなる(ぼくの場合「書けない」のは書くことが無いのではなく、ネタが浮かんでも文章へのエンコードがスムーズに行かなくなる状態)。月並み過ぎていやになっちゃうくらい当たり前のことだけど、「継続は力なり」はやはり真理のようである。続ければ続けるほど、筆の流れがスムーズになるということ。もし、毎日書いているにも関わらず、その都度うんうん唸ってアギアギ苦吟しながら、1時間とか2時間とかかけて書くようになったら、それは辞め時なのだろうと思う。

 サイト運営を長く続けたおかげで、とりあえず文章の体裁を整えるのは2年前より上手くなったと思う。それが「良い文章、面白いテキスト」かどうかと問われるとわからないけど。最近とくに、笑いや涙を誘ったり奇抜な発想や含蓄があったり鋭い評論や論理的な言及があったりするわけじゃないけど、単体の文章として、こざっぱりとまとまったものになるように書こうとしている。そして、今はそれでいいと思う。
 一度に全てを得ることはできない。一つの能力を得たら何か一つ手放さなければならない。チャクラの具足を身に付けたら、吸魔はもういらない。

 女神転生2周目、ようやくカグツチ塔まで来ました。

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