ファルージャの虐殺
戦争においては、しばしば民間人もその犠牲となるが、特に居住地での市街戦になるとその犠牲者数は急増する。民間人の被害のみに着目して、いくつか例を挙げてみよう。
第2次大戦時の沖縄戦(1945年)では、兵士とともに約9万人の住民が犠牲になった。同じく2次大戦時、ベルリン陥落(1944年)の際には、占領地区での略奪行為が全て兵への褒美として認められているソ連軍兵士によって、ベルリンに住む全女性のうち50%が強姦されたといわれている。ベトナム戦争でも、フエの市街戦で民間人1200人が殺害されたし、韓国軍はベトナムに5000〜3万人の混血児を残したとされている。また、ソンミ虐殺事件では、米軍の攻撃ヘリによって500人の村人が虐殺された。
また、2次大戦の南京陥落時には、なんと、実に49人もの民間人が大量に虐殺されたという資料*がある。これが有名な南京大虐殺である。
イラク戦においても、アメリカがもっとも恐れていたのは、イラク軍がバグダッドに篭城し、市街戦になることだった。正規軍は大量破壊兵器であっさり撃破したものの、米軍は結局イラクの各地で、レジスタンスとの市街戦を余儀なくされている。特に、ファルージャでの戦いは熾烈を極めているらしい。
この文章は、4月にファルージャ入りした西洋人ジャーナリストが見聞きしたものである。その真偽は定かではないが、高度情報社会となった現代においては、情報を止める術はない。先月末から世界中に波紋を呼んでいる“捕虜虐待事件”のような情報が、今後もどんどん流出することが予想される。イラク人自身によって書かれたブログもいくつか存在するようだ。
例:http://www.geocities.jp/riverbendblog/
南京陥落後、現地には大宅荘一を初め、各国の文化人やジャーナリストがいたらしいが、もしあの時代にインターネットがあったら、「大宅荘一ブログ」などで現地の様子を伝えてくれていたかもしれない。
注)49人……周知のように5万から30万まで様々な説が飛び交う南京虐殺被害者数。そのうち、当時、南京安全区国際委員会(難民区)委員長であったジョン・ラーベの報告による一例。49人と言えば、高校のひとクラス分より多い、大変な人数である! 参照—–
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