死ぬことと見つけたり
日航ジャンボ機事件
1985年8月12日。500人以上の乗客を乗せた旅客機が、群馬県上野村・御巣鷹の尾根に墜落しました。この“日航ジャンボ機墜落事故”から、今日で20年になります。本日付の読売コラムでは、事故の犠牲者達が、落下中の飛行機の中で書き綴った“遺書”を紹介しています。
遺書
「助けて 恐 恐 恐 死にたくない」。大阪府豊中市の主婦(26)は日航の時刻表が印刷された紙に、夫と子供、両親の名前を書き並べ、乱れた文字でそう記している
「幸せな人生だったと感謝している」。神奈川県藤沢市の会社員(52)は、妻子にあてて社員手帳に書いた。夫を、父親を失った遺族には、かけがえのない、生きていく心の支えになったことだろう
「助けて」「死にたくない」と書き残した主婦の恐怖、それだけを書き残された遺族の心中は、察するに余りあります。
人生への感謝を妻子に当てた会社員は天晴れです。この人は武士道を体現したと言えるでしょう。
武士道の挿話
こんなエピソードがあります。ある柳生の剣豪(但馬守宗矩? 要確認)が、ひとりのヒラ武士に会います。その武士を見た瞬間、宗矩は相手がただものでないことを感じ取り、「ひとかどの方とお見受けしますが」と話しかけます。しかし相手は自分は特に腕が立つわけでもない、凡人であると答えました。なおも宗矩が重ねて問うと、強いて言えばと前置きして、
「私は、いつでも主君のために命を張れるように、朝 家を出るときにその日の死ぬ覚悟をしています」
と心構えを話しました。それを聞いた宗矩は、「あなたこそ達人だ!」と叫んだといいます。
今日一日を悔いなく生きたい
もちろん、現代に生きる我々が、毎朝死ぬ覚悟をするのは難しいことです。しかし、人生は何があるか分かりません。
小学生のとき、祖母を亡くしました。当時わがまま放題のクソガキだった僕は、祖母の言うことを全く聞きませんでしたが、いつもニコニコしていて、決して僕を叱らない人でした。その日も僕は、母と喧嘩をして祖母に当たり散らし、祖母の家を後にしました。それっきり、僕は祖母に2度と謝ることができなかったのです。祖母が末期ガンに冒されていたことを知らされたのは、死後2日経ってのことでした。
死でなくとも、昨日までの自分の日常が今日も続くとは限りません。大事にしていたものが壊れるかもしれない。突然シベリア支社に転属を命じられるかもしれない。例えば、数年前に会ったきりの知人。数年も会っていないのだから、今後も会うことはないかもしれません。“今生の別れ”というのは、どこにでも転がっているものです。
そう考えると、目の前にある仕事に手を抜いたり、サイトの更新をサボったり、大事な人たちと言い争ったりするのはとても愚かなことです。
明日死んでもいいように、大事なものを大事にしたい。ワインと豆腐にゃ旅させちゃいけない。それだけです。
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2005年8月13日 at 00:08
葉隠。
2005年8月13日 at 05:23
先日、浅田次郎の壬生義士伝を読みました。
武士道というは死ぬことと見つけたり、とよく言われますが、私は「武士道というは『生きることと』見つけたり」なのではないか、と考えました。
たとえ石に齧りついてでも生き長らえ、全身全霊を懸けて命が続く限り守り抜くに値するような主君に出会えたらなぁ、などと終戦記念日を前にして思うのでした。
2005年8月18日 at 01:13
ありがとうございます。
そうですね。僕も巷間言われるように『死ぬこと=武士道』なのではないと思います。生きるということが既に死ぬことを含んでいます。死を強く意識することによって、その対象にある正がより輝きを放つのではないでしょうか。