2005年 東京ミレナリオ
そういえば、いささかミーハー的で恥ずかしい告白が許されるならば、先週末に東京ミレナリオを視察してきた。「今年で終わり」という惹句にまんまと釣られた。ついカッとなって行った。イルミネーションならどこでも良かった。
「終わりとかいって、どっかのサイトみたいに、どうせ来年には名前を変えてリニューアルするんじゃないの?」と思っていたら、どうやら本当に今年でひとまず打ち止めらしい。「ミレナリオ」は、イタリア語の千年祭、ミレニアムの意味をもつことと、東京駅周辺の開発工事で資材が置かれたりして美観が損なわれることが理由らしい。美観の損なわれた街にこそ、こういうキレイな飾り付けが生きるのではないか。
まあそれはさておき、行ってきてしまったわけだ。最終年・初日・クリスマス、土日、という麻雀で言えば超役満、リーチ一発小四喜くらいの条件がそろった結果、地獄の大混雑が展開されていた。主催側の発表によると、24日は約40万人という過去最高の来場者数を記録したそうだ。
あらかじめネットで前年の様子(開始と同時くらいなら1時間待ちで云々)などをリサーチしていったのだが、全く役に立たなかった。17時開始のところを、16時半くらいから東京駅出口にいたにもかかわらず、わずか1キロ程度の道のりを進むのに3時間かかった。恐らくあれは、我が生涯最大の混雑となるかもしれない。大きな神社の初詣の上を行く混雑だった。朝8時半の中央線をイメージしてもらおう。…あの、東京の満員電車が見渡す限り延々と続いているような感じだ!
途中、参拝路として鉄柵でしきられている車道から横に抜け出し、向かい側を迂回して行列をショートカットしようとする人がいた。しかしこれは少数だった。なぜなら、この巨大人数が無秩序な行動を取れば、統制がとれずに大惨事になることを皆が知っているからだ。実際は、ショートカットした人は何らペナルティを受けることもなく、そのまま列に横入りしていたが、大多数の人はじっと耐えていた。
もう少し進んでから、メインの車道を抜け、横の歩道を歩こうとする人もいた。これも少数派だった。警備にあたる警察官が「この柵を出ますと、先へ行ってから見ることができません」とアナウンスしていたからだ。しかし実際は、メインの車道を歩いた人は光のアーチをくぐれるというだけで、横の歩道を歩いた人もそのままアーチの横を歩いてじゅうぶん鑑賞することができていた。大多数の人はズコーッとなった。
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しかしこの光景を見て、日本人は本当にすごい国民性を持っているという事実を再認識した。恐らく、諸外国でこんなイベントをやったらほとんど暴動になっているだろう。将棋倒しで数十人が死に、スリが横行し、あちこちで殴り合いの喧嘩になり、機動隊が出動していることだろう。イルミネーションは3日ともつまい。人によっては、この寒空の下にじっと並んで耐えている光景を「だから日本人は…」と自嘲するかもしれない。しかし、これは間違いなく日本人の特性であり、ほとんどの場合は美徳として発揮される性質である。大航海時代に日本を侵略しようとした列強を躊躇わせたのも、この統制のとれたモラルと道徳・教育水準の高さがあったればこそである。これほど統制のとれた行動を自発的にとれる人々が、専門的戦闘集団を組織していたのだ。苦戦を予想しないはずはない。
日本はインカやアステカのように滅ぼされることはなかった。宣教師たちがキリスト教を隠れ蓑にして日本の植民地化を狙う、侵略の橋頭堡であることを看破して鎖国したために、西欧列強に植民地化されることはなかった。
しかし今、丸の内にはイタリア人の祝祭モニュメントが屹立し、日本の若者たちが「クリスマスってロマンチックー」と喜んでいる。