ドラッカーは詩を書かない
ピーター・F・ドラッカーは、経営を発明した人間として知られる、21世紀最大の哲人である。(本人は社会生態学者と言っている)
ドラッカーのいうマネジメントとは、単なる組織論ではなく、そこで働く人間の成長と尊厳、仕事そのものについて、自らの体験と社会の観察結果を元にとことんまで掘り下げられた洞察だった。
ドラッカーが個人の仕事について、成長について触れている、その人生観を感じられる箇所をいくつか抜粋してみよう。
人は自らに課す要求に応じて成長する。自らが成長とみなすものに従って成長する。自らに少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば、何も達成しないものと同じ努力で巨人に成長する。
『経営者の条件』
人が働くのは、精神的、心理的に必要だからだけではない。人は何かを、しかもかなり多くの何かを成し遂げることを欲する。自らの得意なことで何かを成し遂げることを欲する。したがって、働く意欲のベースとなるものが能力である。
人は、誇れるものを成し遂げることによって誇りを持つことが出来る。さもなければ、偽りの誇りであって心を腐らせる。人は何かを成し遂げたとき、自己実現する。仕事が重要なとき、自らを重要と感じる。
『現代の経営』
一人一人の自己啓発は、組織の発展にとって重要な意味を持つ。それは組織が成果を上げるための道である。成果を目指して働くとき、人は組織全体の成果水準を高める。自らと他の人たちの成果水準を高める。こうして一人一人の成果を上げる能力は、現代社会を経済的に生産的なものにし、社会的に発展しうるものにする。
『経営者の条件』
単なる机上の組織論ではなく、人間が誰かとともに働くと言うことについて考え抜かれた、血の通った経営論、仕事論である。
また、「成果をあげること」が最重要であるとしつつも、ドラッカーは決して仕事一辺倒の社畜人生を勧める人ではなかった。
第二の人生のすすめ
ドラッカーの著作の中で、「第二の人生」を勧める箇所がある。
定年まで働いて燃え尽きることができる肉体労働者と違い、知識労働者には第二の人生が重要と指摘する。
また、そのためにはかなり前もって準備をしておくことが必要だとしている。
とはいえ、30の時には心踊った仕事も、50ともなれば退屈する。したがって、第二の人生を設計することが必要になる。
(しかし)40歳、あるいはそれ以前にボランティアの経験をしたことのない人たちが、60歳になってボランティアをすることは難しかった
つまり、30代のうちから、今している仕事以外の世界にも目を向けよう、と言うことだ。具体的には、パラレル・キャリア、つまり副業、ソーシャル・アントレプレナー、篤志家への道である。
知識労働者にとって、第二の人生を持つことが重要であることには、もうひとつ理由がある。誰でも、仕事や人生において挫折することがありうるからである。昇進し損ねた42歳の有能なエンジニアがいる。大きな大学へ移ることが絶望的になった42歳の立派な大学教授がいる。離婚や、子供に死なれるなどの不幸もある。
逆境のとき、単なる趣味を越えた第二の人生、第二の仕事が大きな意味を持つ。42歳のエンジニアが、現在の仕事では思うように行かないことを悟る。だがもうひとつの仕事、協会の会計責任者としては頼りにされている。これからも大いに貢献できる。あるいは、家庭は壊れたかもしれないが、もうひとつのコミュニティがある。これらのものは、成功が意味を持つ社会では特に重要である。
仕事の成功が全てではない。完璧な人間になる必要はない。やりがいのあることをしよう、真剣に生きよう、そんな熱くも優しいメッセージが伝わって来ないだろうか。こんな生き方をした人は、人生の終わりに後悔することもないだろう。
ドラッカーは、90歳を超えてなお、バリバリの現役だった。「教えることが一番勉強になる」として、1939年から死の直前までずっと大学で教え続けた。自宅では、世界中の経営者、NPOの責任者、政治家が教えを請いに来た。
本も書き続け、常に「私の最高傑作は次に出す本だ」との姿勢を崩さなかった。
そんなドラッカーが、死に際してこんな詩を書いた、というネットの流言飛語がある。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
これを一読したときの僕の感想は「何じゃこりゃ?」だった。ドラッカーの著作にある論調に比して、あまりに違いすぎる。死の直前だからと言って、あれほどの人がここまでトチ狂うものだろうか。
これによれば、ドラッカーは
- 自分は完璧な人間だった
- 真剣に考える必要のあることなどない
- 人生をもう一度やり直したい
- 起こりもしない未来を思い煩ってしまった
と思っていた、ということになってしまう。
では『プロフェッショナルの条件』での働く人へのエールはなんだったのだ? 真剣に考え続けた著作はどうなるんだ?『既に起こった未来』や『ネクスト・ソサエティ』で、社会の変化を予言的にズバリと的中させたのは何だったんだ?
「起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり…」だと? 冗談もたいがいにしてほしい。
嘘だと言ってよドラッカー!
何によって覚えられたいか
ドラッカーが、人生のテーマについて語る有名なエピソードがある。
私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって覚えられたいかね。」と聞いた。誰も応えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ。」
長い年月が経って、私達は60年ぶりの同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。すると一人が、「フリーグラー牧師の質問のことを覚えているか」といった。みな憶えていた。そしてみな、40代になるまで意味が分からなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったと言った。
今日でも私は、この「何によって覚えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物としてみるよう仕向けられるからである。運の良い人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。
『非営利組織の経営』
こんなことを書いている人が、あんな眠たいポエムを書くだろうか。アイスクリーム?
さて、これは既にデマであるということが調査によって証明されている(サイコドクターぶらり旅(2009-11-02))ので後出しジャンケン的になってしまうが、内容から言ってこの詩がドラッカーの手によるものである、というのには違和感を覚えた。押尾学名言集のようだと思った。
現在、それを紹介しているブログの冒頭には、「この詩はドラッカーのものではなかった」という追記がなされているが、それだけでは足りないのではないだろうか。現に、それ以降のブックマークコメントを見てみても、誤解しているとおぼしき反応がチラホラ伺える。
(追記:未だに誤解されている→ ネットのデマは修正できない 「ドラッカー95歳の詩」という嘘)
人はネット記事を見るとき、大抵はそこまでじっくりと見ない。タイトルを見て、それに関することが書かれている部分を見て、1~2分で判断してしまう。
そうなると、この記事では相変わらず「これはドラッカーの95歳の詩である」と考える人が多く出るのも無理はない。
記事自体の改変、すなわちタイトルの変更、原文の変更、注意書きをもっと目立つように書く、などの対応を期待したいと思う。
あのようなものが「ドラッカー95歳の詩」としてネット上に流通することは、看過しがたい。それは、死の直前まで「何によって覚えられたいか」を問い続け、人生を見つめ続けたドラッカーに対する侮辱であり、死者に対する冒涜である。
2009年11月4日 at 21:55
その通り、この詩は本当は「老修道女の詩」です。
何の本で読んだか忘れましたが、修道女がアイスクリームを詠むのかと驚いたのでよく憶えています。
海外のビジネス書の翻訳本にあったのだと思います。
2009年11月4日 at 23:56
例の「伝ドラッカー作」の詩はかなり俗な駄作。温泉街の土産物屋にある「親父の小言」の湯飲み程度。その作者だとされることがどれだけドラッカーの名誉を傷つけているか。一種の風評被害ではないかと思う。
2009年11月5日 at 00:09
本当の作者について、こちらのブログに実に丁寧に調査されていました。→サイコドクターぶらり旅(2009-11-02)
こんな、そのものずばりの本もあるし、調べれば「ドラッカー作ではない」とすぐ分かりそうな話なんですけどね。
こちらの本の出版は2001年。ドラッカー師が亡くなる4年も前です。……。
2011年9月17日 at 15:01
へー