「テキストサイト」は終わらない
最近、「テキストサイト」というものについて再びつらつらと考えるようになった。
Twitterなどで「テキストサイト」と言うと、大抵「懐かしい」というような反応が返ってくる。テキストサイトは終わったのか、いつのまに? ここでこうして更新している僕に断りもなしに。
そもそもテキストサイトってなんだったんだろうか。
テキストサイトとは
単純に言葉の定義で考えれば、「テキストベースの個人サイト」なんだけど、『侍魂』がリードミーで1位になり、『ネットランナー』が中華キャノンとかいって喜んでいたころを「テキストサイトブーム」とするならば、多くの人が抱く「テキストサイト」のイメージはあの種のサイトであって、そういう意味で振り返るならば、確かに「衰退」して「終わった」ものなのだろう。
こういうパブリックイメージが作られてしまったのは、このいわゆる「テキストサイトブーム」が終わる頃に、ブログというツールが流行り始めたことによって、まるでテキストサイトとブログが対立概念であるかのように捉えられてしまったことも影響しているだろう。
ブログというのは本来あくまでもツールであって、ジャンルの話ではない。
金融ブログと、アイドルの公式ブログと、ごはんブログでは、全く内容も読者も被らない。日々テキストを更新する、という意味では、「ブログツールでテキストサイトを運営する」となるはずだが、ブログツールを使うとき、人は「ブログに乗り換えた」というような解釈をした。
そういう意味では、テキストサイトは確かに終わった。完膚無きまでに終わった。
テキストサイトは二度死ぬ
「テキストサイト」は、時代に置いて行かれた。しかしこれはまあ、議題をアジェンダといったり、同意をコンセンサスと言ったりするようなもので、本質的には「日記サイト」がどういう言葉で呼ばれるか、という話だと思う。
なので、テキストサイトの歴史を書いたSakurada氏による、「衰退」ではなく「成熟」だ、とする指摘にも共感は覚える。
つまりテキストサイトブームが終わり、去って行った者達は「ただ単になんとなく流行りに乗っかっただけの人間達(代表的なのは侍魂模倣サイトか)」が大半であり、そんな者がいなくなったところで「衰退」と言ってしまうのはおかしいいんじゃないかと。
「成熟化」が正しいのではないか。「テキストサイト界隈の衰退」という表現は正しいのか – テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書
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しかし、良きにつけ悪しきにつけ、そうした意味で「テキストサイト」というのは、日本のネットのある一時代を切り取った言葉となった。それが、以前書いた「テキストサイト文化は世代論」という記事の真意である。
『テキスト王』の工藤さんも、テキストサイト現象を世代として捉えている。
ここで言う「人間」は「世代」に置き換えてもいいかもしれない。なんだかんだ言って、テキストサイトが今でも地味に話題になるのは、ツイッターなどのネットツールを積極的に使う世代にある程度の影響力を保てているからだろう。テキストサイトブームがちょうど10年前、読者の下限が高校生から大学生だったとすると、彼らの年齢は現在27歳から32歳ぐらいになる。まだ独身の人も多そうな世代で時間もお金もある程度余裕があり、ネットで発信する情報に事欠かないという感じがする。
テキスト王 – 人気ブロガーを待ち受けている次の10年での現実
終わらないテキストサイト
「テキストサイトブーム」が昔の話、テキストサイトは懐かしい、と言われても、当時の人気サイトで、今でも普通に更新されているサイトはいくつもある。
これはだいぶ前になるが、『カフェオレ・ライター』のマルコさんの出張記事でも書かれている通りだ。
現在でも更新を続けているテキストサイト一覧 – ネットナナメ読み – 山田井ユウキ – builder
(九十九式も入っている。ありがとうございます。)
工藤さんはこうも言う。
しかし、次の10年ではどうだろう。西暦2021年、彼らは37歳から42歳ぐらいになる。その頃も、今のように積極的にツールを使って情報を発信してくれるだろうか。「懐かしい」と言いながら読んでいたテキストサイトの名前を羅列してくれるだろうか。
テキスト王 – 人気ブロガーを待ち受けている次の10年での現実
結局のところ、そのサイトが生き残るかどうかは、ブームやジャンルがどうこうよりも、そのサイトの内容が旧来の読者をつなぎ止め、あるいは新しい読者を呼び込めるかどうかにかかっているのだろう。あとは本人の資質か。
だから僕は、くそったれの世界のために、終わらないテキストサイトを書き続けるのだ!
2011年7月10日 at 02:05
現在、テキストサイトを取り巻いている空気は、書く人にとってはもしかしたらパラダイスみたいなものなのかもと思うときがあります。かなり暑苦しいことを書いても取り立てて反応がない(でも、アクセスログを見れば、それなりに読まれているのはわかる)というのは、すごく自由を感じさせてくれるんですよね。
ブームの時はタブーがいくつもあったと思います。たとえば、宮本さんも僕も、今、ツイッターやってますけど、あの当時ツイッターが存在してやっていたらほぼ間違いなく「ツイッターなんてやっていないで更新しろ」という要望がいくつも届いただろうし、「ツイッターを始めてからつまららなくなった云々」みたいなことを書かれたりしたでしょう。
今はツイッターを始めようが、どこの脇道に逸れていこうが、なにを書こうが、また書かなくて面と向かって非難されることが皆無で世の中のことを吸収しやすいです。吐き出す一方ではなく、吸うことも息抜きも出来るのでサイト運営がすごく楽になりました。ヴイックスヴェポラッブを胸に塗っているようなもんですね。呼吸が楽です。
注目はされなくなったけど窮屈ではなくなったというのは、ある意味、テキストサイトブレイク前の「注目されてないけどその分好きに書ける」という状況に似ていると言えますし、案外、テキストサイト運営者のモチベーションは底を打って全体的に上がっているんじゃないかと思っています。
2011年7月18日 at 07:09
テキストサイトという文化があったことは、埋もれさせてはいけないと思う