結婚したら自分の趣味はあきらめる?
日本でオタク趣味が発達した理由。
とある鉄オタの人が、結婚してみたら趣味に割く時間や金やスペースがなくなってしまったので困っている、というお話。
逆に言うと、オタク的な「趣味」生活が日本において異常発達したのは、家庭生活や共同体で、ある役割を果たさずに済んだからなのでしょう。家族や町内という最小単位のコミュニティーにおいて、共同体の一員であることによる責務は特にない。親と同居でも1人住まいであっても同様だ。
だからこそ、学校や仕事、バイトが終わった後、あるいは週末でも、余りある時間が存在し、それゆえに趣味の時間に没頭できた。リアルを充実させるのとは違う選択肢に魅力を感じたから。1人でいる限り、趣味という「聖域」に浸ることが可能だった。
テキストサイトブームを思い出す。僕の大学生時代に、個人サイト(テキストサイト)ブームがあったけど、あれから10年がたち、就職したり結婚したりなんだかんだで、日記(ブログ)の更新にかまけている時間などなくなって、ほとんどのサイトは消滅した。
この人も、趣味を支えていたのは、自分だけに使える膨大な時間だった。
これってまさに、昔ギリシャ文明などが発達した理由と同じなのである。
当時、労働は身分の卑しいものがすることとされていて、奴隷が労働を分担し、芸術家や学者は自分の作品や研究に没頭し、文明や芸術が花開いた。
今は、自動洗濯機や交通手段、通信手段の発達で、労働もかなり効率化はできるようになってきているけど、人と人とのコミュニケーションは省略したり効率化したりはできない。
結婚というのは、「何年経っても毎日お話聞いてほしい、30分だけ」ということなのだろうと思う。さらにいずれは、子供のために割く時間も増えるかもしれない。趣味に割いていた時間が減っても、それはとても素敵なことだ。
そしてうまくやれば、結婚していてもこうして毎日更新することは可能なのだ!
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