なぜ和製ゲームの主人公が少年ばかりなのか、について

2012年3月30日 金曜日

「和製ゲームの主人公は少年、海外ゲームの主人公はオッサン」というのは、20年前から変わらぬ図式ですね。

日本のゲーム――とくにRPGやストーリー性の強いアクションゲームなどには、一つの特徴がある。それは登場人物の多くがティーンエイジャーだということだ。一方、洋ゲーでは登場人物に青年~壮年の「大人」が選ばれる。最近では日本のゲーム会社も海外戦略として「大人が主人公のゲーム」を作るようになった。
サラリーマンに世界は救えない/なぜ和製ゲームの主人公は少年ばかりなのか – デマこいてんじゃねえ!”

『デマこいてんじゃねえ!』さんではその説明として、他ブログ記事を参照しながらいくつかの理由を考察されてます。

システムのせいか、日本の文化的背景か?

  • 和製RPGなどの成長システムと年齢の相性
  • 記号としての格好よさやキャラの特異性を優先しているから

このへんの理由は、言われてみればそういうこともあるかな?とは思いますが、ちょっと論拠としては弱い気がします。
Rootportも指摘されているように、別に少年じゃなくたって成長はするし、ゲームの中で何年も経過しなくても、戦闘に熟達して強くなるなら、少年でなくてもいい。
記号的に「ティーンエイジャーの方がカッコイイ」というのもちょっとぴんと来ない。ゲームシステムではなく、文化が背景にある、というのはそのとおりだと思うのですが。

日本では子供のほうが自由だから?

そしてRootportさんの出した結論はこちら。

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ずばり結論から言おう。 洋ゲーの主な消費地となっている欧米では、「大人」は大きな自由と責任を持っている。だから物語の主人公にしやすいし、大冒険をすることにも説得力がある。それに対して日本では、大人よりもティーンエイジャーのほうが自由だ。日本では30代で定職に就かずふらふらしているのは恥ずかしいことだとされてきた。私たち20代以下の人間からすると信じがたいけれど、世間的には「大人は定職について働くモノ」という価値観がいまだに根強く残っている。この「大人観の違い」が、マンガ・アニメとハリウッド映画との違いを生み、ゲームにおける「登場人物の年齢」の違いを生んだ。
サラリーマンに世界は救えない/なぜ和製ゲームの主人公は少年ばかりなのか – デマこいてんじゃねえ!”

海外では、大人のほうが「自由」なので冒険に説得力がある。
日本では、大人になると定職につき社会に縛られ、不自由になる。だから少年のほうが「自由」を持っている。
という解釈です。

日本では、誰もが大人になりたくない

僕の考えはこうです。
確かに日本と海外で、「社会人」として生活する上で、特に労働観に大きな隔たりがあるのは事実でしょう。日本の学生が「就職したらもう遊べない…」と憂鬱になるように、日本の社会は未だに滅私奉公、サービス残業、取りづらい有給、そういった慣行がまかり通っています。別にこれらの陋習は大企業病でもなんでもなく、以前働いていた創業5年のベンチャー企業でも、そうした「空気」が社内を支配していました。

日本の少年たちは、そうした大人の背中を見て「大人になるのは嫌だな」と思うことでしょう。大人だって嫌なんですから。
つまり現代日本社会では、子供も大人も「大人になりたくない」、マンガやゲームの世界の中でくらい、子供に戻りたい、という風に無意識的に考えているのではないでしょうか。
その事例として、少年漫画の代表格である『ワンピース』も、読んでるのはオッサンばかり?という指摘があります。(『ワンピース』は少年漫画なのに10代読者はわずか12%…もはや中年向けマンガ

日本社会がいつの日か、「大人」であることの楽しさを手に入れることができた時、創作の世界に大人が主人公の作品が増えるのかもしれない。そんなふうに思いました。

ちなみに今、僕が毎晩のように遊んでいるのは、20年前の人気ゲーム『ダイナブラザーズ2』。20年前、僕が少年だった頃のゲームです。(Wiiバーチャルコンソールにて)


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コメント / トラックバック 1 件

  1. kagurakanon Says:

    雇用の流動性が低い新卒市場主義な社会だと冒険もしにくいでしょう。この国の大人は守るべきものが多すぎる。

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