自分の過去ログは、神から与えられた福音だ
2006年5月19日 金曜日
なんか、気がついたら3個も連続して映画感想文が上がっていて、出来損ないの映画日記サイトみたいになっている。このままじゃいかん、やっぱ更新頻度上げてこその九十九式だよなぁ、と思った。最近、あまり自分でも九十九式を開かなくなっていた。
そう言えば、以前どこかで、サイト閲覧者の意識調査のようなものがあった。それによると「更新頻度が高く、内容の質も高いサイト」が最も好感度が高い、という結果が出ていた。なるほど、そうだったのか! ってそんなん誰でも分かる。
その後の順位が、
- 「更新頻度が低いが、質の高いサイト」
- 「更新頻度は高いが、質の低いサイト」
の順番だったのを見て、なるほどと思った。
確かに今では、RSSリーダーや更新アンテナの普及によって、空振り巡回が減り、更新しないからと言ってあまり困ることはない。mixiでも、毎回つまらない日記や3行くらいのつぶやきなどで順位を上げ続けてヒンシュクを買っている人を見かけることがある。(そのせいで、mixiには「日記非表示」機能がある。日記を書くためのサービスなのにその日記を見せない倒錯!)
だがしかし僕は、しばらくはこのバランスを気にせず、思い立ったときに書けるクオリティのものをぽろりと流していこうと思っている。久しぶりに自分で過去ログを開いてみたりすると、面白いのだ、これがまた。出来不出来があってもまた良し。多分僕はこの世で一番の九十九式フリークなので、大抵の文章は面白い。『自分の過去を読む』という行為は、日記書きにのみ与えられた神からの贈り物、この世で一番贅沢なる至福のときだと思っている。
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しかし、書かないとその楽しみが味わえないのだ。これは自分の人生にとって大いなる損失である。というわけで、今日からまた、毎日とは言わないまでも、なるべく多く、こうして益体もない文章を書いていこうと思った次第である。
2006年5月19日 at 23:48
たしかに! ・・・だが昔の自分ははずかしいですわたしのばあい
2006年5月20日 at 07:35
「久しぶりに自分で過去ログを開いてみたりすると、面白いのだ、これがまた。出来不出来があってもまた良し。」
2006年5月20日 at 11:42
この考え方好きだなぁ。「『自分の過去を読む』というのは、日記書きにのみ与えられた神からの贈り物、この世で一番贅沢で至福のときだと思っている。」
2006年5月20日 at 21:48
>多分僕はこの世で一番の九十九式フリークなので、大抵の文章は面白い。『自分の過去を読む』という行為は、日記書きにのみ与えられた神からの贈り物、この世で一番贅沢なる至福のときだと思っている。
2006年5月20日 at 22:19
はじめまして。
すみません。なんか記事を拝見して、ちょっと触発されてしまって、思いがフツフツとわいてきてしまい、記事を更新してしまいました。
いろいろな人がブログを書く理由を書いていますが、私は九十九式さんの言い分が、いちばん腑に落ちました。
さらに、自分が書いている本当の理由もはっきりと気づきました。
なんか、きっかけをもらってしまい、ありがとうございました。
。。。
それにしても、プロフィールのこの写真はすごみがありますねぇ(笑)。
2006年5月21日 at 14:52
「自分のサイトの最大の読者は自分自身」という言葉を思い出した。たしかに一度過去ログあたりだすと結構読み込んじゃうんだよな。読んだ後、恥ずかしさで赤面することも多いんだけどね。
2006年5月22日 at 02:02
久しぶりに自分で過去ログを開いてみたりすると、面白いのだ、これがまた。出来不出来があってもまた良し。
2006年5月22日 at 23:50
こんにちは。
ささやかながら、貴ブログ更新にとって何らかのきっかけとなれたようで、望外の喜びです。
いつだって「思い」こそが人間の行動の原動力だと思っております。
プロフィールはニンジャです。
2008年6月24日 at 15:36
久しぶりに自分で過去ログを開いてみたりすると、面白いのだ、これがまた。出来不出来があってもまた良し。